祥矢は走っていた。
紅い龍珠の高蘭王と別れた後、彼のいうとおり、すぐ流虎の軍と遭遇した。
だからわたしのいうとおり、早く逃げておればよかったのだ。と、あの彼がいたら、そうたしなめたであろう。
敵は通常、草原で家畜を追っているせいか、かなり俊足である。追いつかれそうになると、剣で威嚇するのがやっとであった。
実は、祥矢は実戦経験がない。
真剣で命の奪いあいなど、もってのほかだった。地の利のおかげで、なんとか追いつかれずにすんでいるが、このまま行くと、いずれ荒野へ出る。
そこには、遮蔽物がまったくない。
まずいとは思ったが、他に逃げ込む場所がない。荒野を走りきったら、《竜の背骨》の麓に広がる森へ入ることができる。
森とはいえ、樹海に近い。
一度入ると迷えば戻れない、《死の森》と呼ばれていた。ただ、入ったきり戻った者を見ないだけで、皆が皆、遭難しているとは限らないのだが。
そこへ行き着くまで、持ちこたえることができるだろうか。
敵が剣を繰り出してくる。
剣技は、祥矢の目から見ると、未熟な点が多い。だが、彼らは命を捨てる覚悟でいるためか、鬼気迫る勢いがあった。
本気を出さねば討たれると思い、祥矢は全て手傷を負わせる程度で、敵の志気を下げようとしていた。
だが、いっこうに引く気配がない。
祥矢に対して、集中が切れない。
指揮している将軍がよほど優秀なのか。
荒野に出た。
冬になると凍土になるが、寒波が早いためか、すでに凍り付いていた。
祥矢を追っている兵士は、十人程度である。
本隊は城へと進んでいることだろう。
振り返ると、城が見えるはずなのだが、今はそんな余裕はなかった。
森へと必死に走った。
だが、兵士は水を得た魚のように、速度を増してくる。
ここで討たねばならないのか。
右手が剣に触れた。
抜こうとしたとき、祥矢はふと歌声を聞いた気がした。
不思議な感覚の歌だった。
声は明らかに女性のものだ。だが、言葉がわからない。
迎撃しようと振り返った瞬間、目の前が濃霧に包まれた。
「……?」
敵も突然わいた霧に驚き、どよめいている。
瑠円ではこの時期、あまり霧は発生しない。
今まで晴れていたにもかかわらず、突然の濃霧は不自然きわまりなかった。
だがこれは、好機ともいえた。
たとえ霧に包まれていても、森への方角は感覚で覚えている。
なにも見えないが、森は確かにそこにあると、確信していた。
敵は混乱で統率が取れていない。祥矢は、これ幸いと走った。
いよいよ、竜宮にたどりついた。
扉の向こうでは、兵士が大勢いるのは気配でわかっていた。
ただ、予想に反して殺気をさほど感じない。
近衛長と名乗る青年が出てきた。
この国特有の黒髪に、空色の瞳をしている。
彼もまた、例の化け物には当てはまらない。
「流虎国第一位将軍、レーヴェと申す」
近衛長は、まっすぐレーヴェを見ていた。
冷静に見えるが、その瞳には強い炎を感じた。
「王に謁見を申し込む」
「はてさて。こんな夜中に、ですか」
レーヴェは黙っている。
「拒否すれば、後ろに控えている兵に、放火命令を下すのですね」
よくわかっているではないか。
悟られぬよう警戒して進んだのは、民を人質に取るためであった。
開門を拒否すれば、一帯を焼き払う準備は整えてある。
街道を封鎖し、人を家屋に閉じこめた本当の目的は、ここにあった。
「謁見は叶いません」
「なんと……」
我が耳を疑った。
民を見捨てるつもりなのだろうか。
ロランの報告では、風明王は慈愛の王として支持が高い。なによりも民のために執務をこなし、資源が乏しくとも、なんとか成り立っているのは、王の懸命さが民の心をつかんでいるからなのだと。
流虎の先王の暴君ぶりを知っているロランは、うらやましいと手紙に書いてきていた。
だから今回の作戦は使えると踏んだのだ。
放火の用意はしているが、使うつもりは毛頭無い。
「先ほど、崩御なさいました」
衝撃が走った。
かすかに身体が震えたのを悟ったのか、近衛長は唇をゆがめて笑った。
「我らには龍神がついている。侵攻が見破れないとでも思ったのですか」
また先手を打たれた。
王が生きていれば、利用価値はあった。
首根っこを押さえていれば、民も反乱を起こさずおとなしく従い、近衛たちも、うかつに手出しができない。
双方にとって、死者を出しにくい良策だったのだ。
「龍神の加護でなにもかも見えているのなら、手前がなにを考えているか、おわかりだろう」
レーヴェの瞳が、ぎらりと光った。
「おまえの王はもういない」
すらりと剣を抜いた。
「我が法王のために、ここを落とす」
theme : 自作連載小説
genre : 小説・文学